医学生は4-6年生の期間、大学病院で臨床実習をします(カリキュラム)。それと同時に、大学病院から出て、市中病院で実習する機会もあります(カリキュラム)。また就活もかねて、各地の病院へ「病院見学」に行きます(個人的に)。そのようなわけで、医学生は「様々な病院」を知っています。
今回は、様々な病院、特に精神科を診てきて感じたことをまとめていきたいと思います。
精神科は主に4タイプに分けられる
まず、精神科は4タイプに分けられると思います。(表1)
公的病院 | 私立病院 | |
キレイ | 主に大学病院や市中病院内の精神科(大病院の一部) (公的病院A) | 私立病院C |
キタナイ | 独立した精神病院(田舎に多い) (公的病院B) | 私立病院D |
まず、公的病院か、私立病院かに分けられます。
次に、失礼な書き方になりますが、「病院がキレイかキタナイか」です。(どこの病院も「きれいに掃除」はしてあります。「キタナイ」とは「建物が古い・老朽化している・患者さんが疲弊している」などの様々な意味です。詳しくは後述します。)
公的病院と私立病院で全く異なる病院方針
まず、公的病院(病院A,B)と私立病院(病院C,D)の病院方針は全く異なります。
- 公的病院は税金が投入されているため、利益無視が多い
- 私立病院は、利益も考えながらの治療が多い
この病院の方針の違いこそが、病院の特徴を大きく決定していると言えるでしょう。
教育的役割を担う公的病院A
公的病院Aとは主に大学病院や市立病院内の精神科です。(医学部生には、「大学病院」が一番分かりやすいイメージです。)
- 教育的役割
- 他科でのリエゾン
が主な仕事内容と言えます。「キレイな」病院の典型例です。
ゆとりがある教育機関的な公的病院A
公的病院Aの、大きな役割は、「教育」にあると思います。キレイな病院は、以下のようなメリットでメリットがあります。
- 医者が充足しており、若手医師への指導時間が豊富にある(フィードバックが多い)。
逆に言えば、臨床経験値は積みにくい - 患者は紹介状ありきの人が多い。
前医の診断を参考にできる(その分、誤診は減る)(教育的意義も高い)
逆に言えば、難しい症例が多かったり、初見で診断する機会は少ない(教育的デメリット) - 患者一人あたりに割ける時間が多い分、誤診は少なくなりやすい
逆に言えば、多くの患者は診ることができない
キレイな病院のメリット~誤診の低さと教育的意義
「キレイな」公的病院Aでは、一人の患者さんに若手医師が丁寧に時間をかけ診察・診断して、その後、上級医も改めて、診察診断します。
- 二重に診察診断されるため、誤診は少ない
- 若手医師は、上級医との診察・診断の違いを見たり、上級医からの指導を受けることができる
といったメリットがあります。
公的病院Aのデメリット~経験が積めない
キレイな病院では、「他院から紹介状ありで送られてくる」難しい症例ばかりです。そのため、「典型的な精神疾患」は逆に少なかったりします。(教育的機会が少ない面もある)。
また、(特に若い医師は)紹介状のある患者さんに対して、「先入観ありきで」診察してしまうこともあります。
高級感意識の私立病院C
「私立病院は利益も視野に入れなければならない」と上述しました。利益を得ようとしたら、
- 高級なサービスを少しだけ売る(ブランド)
- 安いサービスをたくさん売る(薄利多売)
のどちらかの道を選択することになります。前者をとったのが私立病院Cといえます。
イメージとしては、
- 落ち着いた症状の患者さんが多い(お金持ちっぽい人も多い)
- 施設は都市部に設置(アクセスが比較的良い)
- 比較的施設が新しい
- のほほんとした雰囲気
といった特徴があります。比較的最近(2000年代)にできた病院が多いです。(このタイプの私立病院は歴史的経緯からそこまで多くはなく、最近増えてきた印象です。後述する私立病院DタイプからCタイプに移行しようと試みている病院もそこそこあるようです。)
全患者のセーフティを目指す私立病院D
反対に、たくさんの患者を診ているのが、私立病院Dといえます。ここは「病院C」の真逆と言えます。
- 鬼のように忙しい
- 大量の患者さんを、スピーディーに診る(→誤診は多そう)
- ただ、現在、最も必要とされている存在
大量な患者を診る!誤診は多そう・でも必要…
「キタナイ」病院は本当に忙しいです。例えば、僕は私立病院Dの見学に行った際、外来見学(再来)を1日間(9:00~17:00)しました。その中で、50人近い患者さんを見ました(再来外来では体長確認や薬の処方がメインで多くの患者を診た)。
もちろん、こんなにたくさんの患者さんを診ているわけですから、患者一人あたりにかけられる時間はかなり短いです。誤診をしてしまうこと・見逃してしまうこともあると思います。公的病院Aにいるような医師からは、「ああいう病院は誤診が多い」と文句を言われたりもしています。
ただ、実際問題として、最も多くの精神科疾患患者を診ているのは、私立病院Dです。私立病院Dのような病院がなければ、多くの患者が路頭に迷ってしまう現実もあります。必要悪とも言える存在でしょう。
例えば、私立病院Cでは、症状がかなり重篤な患者を受け入れていなかったりします。(そもそも受け入れていたとしても、ブランドイメージから、そこには行けない人・行かない人が多いです。ジャージでフランス料理屋に入るイメージ・・・)
逆に私立病院Dは、どんな患者でも受け入れるイメージです。そのため、患者さんやその家族には、疲弊した人や身だしなみにまで気を配れない人も多くいます。そういった人まで確実に救おうとしている病院が多いです。
また理由は後述しますが、私立病院Dは、田舎のアクセスが悪いところにある古い病院であることが多いです。
キタナイからこそセーフティーネット
身だしなみの整えられない人も多く、田舎の古い病院が多いと言うことで、「キタナイ」イメージはあります。
私立病院Dタイプで働く医師は「うちの病院は3K(きつい・汚い・危険)だよ」と言っていました。僕は私立病院Dタイプにあたる病院を2カ所行きましたが、sどちらの病院でも同じ台詞(3K)を言っていたのが印象的でした。
「キタナイ」病院というと、ネガティブなイメージになるかもしれませんが、キタナイ病院こそが、精神科患者のセーフティーネットになっているとも感じました。
それが本当に良いことかはともかく・・・。理想を言えば、きれいな病院でもっと医療人材も充足した病院こそがセーフティネットになルべきとは思います。ただ、そこまでの余裕がある病院が少ないのが現状でしょうか。
正義を貫かんとす公的病院B
公的病院Dはその公的な役割が強くあり、「カネにならないところまでフォローしている」病院が多いです。
各県にある「精神医療保健センター」的な名前であります。各地の精神保健の研究なども行っています。(公衆衛生学的)
印象的には、「私立病院Cー私立病院D」の関係が「公立病院Aー公立病院B」でもあるイメージです。
キタナイ病院がキタナイわけ
(少し難しい話になりますが)精神科病院は、二次医療圏とは別に、自由に病院設立が許されていた時代があった(1960年代)(他の科は二次医療圏に従って病院設立をしていた)。自由に病院設立ができたため、その時期(1960年代)に、土地の安い田舎で、病院が乱立した(主に私立病院:安い土地で入院者数を増やして儲けようとした)。地方自治体も精神科病院を設置するよう国に求められたが、自治体の支出を抑えるために、田舎に病院が設置されたりした(病院Bの由来)。そのような古くなった建物が田舎にある。
私立病院Dについては、私立病院なため、もちろん、儲けが重要となる。大量の患者さんを少ない医師でさばいたり、大量の入院患者を抱えることが、病院の役割となっていた。そのような病院が今も生きているということである。儲け主義と批判もされるが、そういう人が多くの精神疾患患者を支えているとも言える。
現在、精神科患者の入院を減らすように国が動いている。これまでの「田舎に入院させてもうける」ことができなくなってきた。それでできたのが私立病院Cといえる。
医師として働くには?教育的ベスト
おそらく、精神科医師として成長する過程では以下の二つのルートがあると思います。
- 公的病院Aでじっくり腰を据えて勉強する
- 私立病院Dでバンバン患者さんを診て成長する
じっくり腰を据える公的病院A
公的病院Aは元々、精神科自体が教育目的にあるところが多いです。綿密な教育プログラムが組まれている病院もあります。症例数は少ないですがそんな中で確実に成長できるようなプログラムを準備しています。
我流になりやすい私立病院D
逆に私立病院Dでは、若手医師は「じっくりと育てられる」と言うよりは、「我流でずんずん」成長していくことになります。
- 病院として大忙しな分、若手の教育が希薄(教育に人員を割くほどの余裕はない)
- 患者が多いため、若手でもどんどん患者を診なければいけない
このような環境のため、経験は積めますが、我流で精神か診断をしている若手医師もいます。
僕が病院見学に行った際には、「俺の診断方法はかなり我流になっているから、いつか誰かに矯正されなくちゃいけない。」と言っている若手医師もいました。後期研修プログラムとしては、後期研修最終年の医師を大学病院に派遣して研究や、スタンダードな医療を学ばせる病院が多いようです。
第一印象の「肌感覚」が身につく私立病院D
私立病院Dでは大量の患者さんを診ます(10分で1人の患者を診るくらい)。それくらい大量の患者を診ていたら「なんとなく」患者さんのイメージが分かった気がしました。
- ADHD:不注意・多動性
- 統合失調症:陰性症状や引きこもりがちな雰囲気
- 認知症:多幸感
以上のような典型的な症状を、繰り返し見ていると、患者さんを一目見たときに、「なんとなくあの病気かな」と分かってしまう(気がしてしまう)。もちろん、精神科疾患は、その診断基準に基づいて、診断を行いますが、その前段階で、雰囲気でなんとなく、分かった気分になります。(そして、その予想は、意外とあたります。)
そんな肌感覚が身につく場所かなと感じました。(ただ、あくまで肌感覚なので、誤診が出てきてしまう理由にもなります。)
後期研修医を見比べたときに
後期研修医を見比べたときに、印象は大分違います。
私立病院Dにいる後期研修医は、「患者慣れ」している印象です。また、肌感覚もあるように感じました。一方で、公的病院Aの後期研修医は患者慣れまではしないものの、卓越した知識を持っているようでした。
ただ肌感覚は大事だと思う
例えば、「人の声が聞こえる」を訴える患者さんがいたとしましょう。紙の勉強ばかりしていると、「人の声が聞こえる=幻聴→統合失調症」と思い込んでしまいます。
ただ、人の声が聞こえると言っても、それは必ずしも統合失調症ではありません。ただのストレスでも、起きえます。「じゃあ、これは本当に統合失調症か?」と疑うときに、肌感覚というのはとても大事になるのではないかと思うのです。
「僕が今考える最強のルート」
公的病院Aでスタンダードな精神科医療を学んで、そこから私立病院Dで経験を積む。