歴史

精神科医療の歴史(世界史)

今回は世界の精神科の歴史を見ていきたいと思います。

精神医学が始まる前1:古代

古代のギリシア・ローマでは、精神疾患は「狂気」として捉えられ、神罰だと解釈されていました。しかし、これに反して、「医学」も進歩していきます。

ギリシャの医学者ヒポクラテス Hippocrates(BC460 ~ 375)は,精神病は身体疾患,すなわち脳の病気であると,従来の「悪霊説」を否定した.ヒポクラテスの影響で,ローマ時代には「仕事は最良の医師である」という観点で,現在の作業療法のような働きかけも試みられている.

http://www.chugaiigaku.jp/upfile/browse/browse1627.pdf

つまり、ヒポクラテスによって、「精神的な問題は身体的原因に基づく」という考え方が広められ、さらには治療法も提案されてきたということです。精神疾患も身体疾患と同じ枠組みの中で捉えられるようになったのです。

(例えば鬱状態は黒胆汁の過剰と解釈されてきていた。

中世イングランドにおける狂気と法 から改変

「古代」というと、精神疾患への理解が進んでおらず、差別や偏見も多かったような前時代的なイメージも持たれがちですが、かなり精神疾患への全体像はつかめていたようです。

精神医学が始まる前2:中世ヨーロッパ

医学的モデルと宗教的モデル

中世ヨーロッパでは、精神疾患について2通りの解釈がなされました。

  • 医学的モデル:古代ギリシア・ローマの医学(ヒポクラテスから始まった古代の医学)と、これを土台にしたアラビア医学からできたモデル。体液説や、「精神は脳に宿る」という考え方がなされていた。
    治療としては瀉血、下剤、吐瀉、灌水など
  • 宗教的モデル:精神の領域に現れる「狂気」は神の領域とされた。
    治療としては悪魔払い、聖人の力
    15世紀頃には魔女狩りの対象ともされた

医学的モデルは、ヒポクラテスから生まれた「医学」の進歩した形でしょう。現代の精神医学に通じるところがあります。

反対に宗教的モデルは科学的ではない印象です。科学で完全に説明できない分野に関しては、宗教的な考えが流行っても仕方が無いのかもしれません。一般的には、人間は説明のつかない事象に何らかしらの説明をつけようとしますが、中世では歴史的背景も相まって「宗教」にその答えが求められたのでしょう。(日本の精神科の歴史においても、寺社(僧)が精神科治療の役割を担っていたこともありますが、これに通じるところがありそうです。)

魔女狩りの歴史

魔女狩りのイラスト

ローマ帝国滅亡から,ルネッサンスに至るまでのヨーロッパ社会は,社会的文化的に暗黒時代とよばれている.この時代には,精神障害を流行病や天変地異などの災害とともに悪魔のしわざと考えられるようになる.悪魔を発見するための診断法や診断用器具があみ出された.この方法で「魔女狩り」が行われ,発見された魔女や魔法使いの多くが,精神障害者だったといわれている.「魔女狩り」は 15 世紀ごろがピークで,少なくとも 15 万人の精神障害者が魔女裁判にかけられ,虐殺されたといわれている.集団殺戮の道具になったのが,魔女狩りのマニュアルとしてドミニコ派の僧侶クレーマーとシュプレンガーによって書かれ,ローマ法王の承認まで得た「魔女の槌」である.

http://www.chugaiigaku.jp/upfile/browse/browse1627.pdf

中世において、精神科疾患を持った人間は、他の人とは「違う」という扱いを受け、それが宗教的に解釈されていたのでしょう。引用の通り、この時期のヨーロッパでは医学はそこまで進歩せず、イスラム世界が医学を牽引したとされています。

中世から始まる精神障害者の収容

ヨーロッパより医学が進んでいたイスラム世界では13世紀頃から精神病院が盛んに作られていました。

ヨーロッパでも、14世紀以降、欧州各地で、精神障害の人々を収容する施設ができるようになりました。施設によっては、不法監禁、不衛生な環境、拘禁・拘束の常態化、見世物のような扱いをするものもあったようです。一方で、新しい治療を試みたり、人道的なケアに努めようとしていたものもあったとされています。

ベツヘルム療養院

イングランド最古の精神科療養施設として有名なのがロンドンのベツヘルム療養院(1377年から精神に変調を来した患者の収容)です。ベツヘルム療養院は当時の精神科病院を知る材料として有名です。18世紀の画家ウィリアム・ホガースの A Rake’s Progessを見てみましょう。

なかなか情報量の多い絵です。

周囲には木の棒で演奏する音楽家、紙筒を望遠鏡と思いこむ天文学者、自分を大司教(教皇?)と思いこむ男など、様々な患者の姿が描かれている。隣の部屋に続く扉の前には、麦藁の冠と杓を身に付けた全裸の「国王」が立っている。後ろには収容されている患者たちの奇妙な行動を見物するために精神病院を訪れた、流行のドレスを着た婦人たちが描かれている。現代人の考えからすると不快で理解しがたいものだが、ホガースが生きていた時代にはごく当たり前のことだった。

放蕩一代記より

この絵が描かれた当時(1735年)、精神疾患患者は、貴族などへの「見世物」にされていたようです。

見物客は一人1ペニーを支払って入場し、患者たちの奇妙な振舞いや暴力行為などを見物して楽しんだ。また、見物客には患者を突いて興奮させるための長い杖の持ち込みも許可されていた。1819年には96000人の見物客が訪れた。

ベドラム

差別される精神疾患患者

もちろん、精神科病院がこのような悲惨な状態だったのは、精神科疾患患者への偏見が強くあったためと考えられます。

精神病者や浮浪者などは勤労に従事しない怠け者と見なされ、道徳的に低い存在と考えられていた。そのため、福祉などが一般の勤勉な市民よりも後回しにされていた。

イギリスにおける近代化と精神医学から改変

このような偏見は、今日でもまだ無くなってはいません。ただ、少しずつ(少なくとも当時よりは)改善されてきていることも事実です。イギリスでは、国王が精神疾患になったことを転換点として改善されてきたと考えられています。

国王のジョージ三世(1738-1820)が発狂したことにより、精神病は王ですらなるものだという認識が広まり、また、精神病は原則として治るうるものという印象が王の侍医たちの努力によって深まり、狂気に対する人々の態度は物笑いの種から思いやりに転じていった

イギリスにおける近代化と精神医学から改変

そして、同時期、フランスにて、精神疾患患者が、病院に閉じ込められていた状態から解放されることとなります。

フランスから始まった精神疾患患者の解放と近代精神医学の始まり

当時のフランスの精神科事情

フランスでは17世紀半ばにつくられた「収容施設」に精神病者を隔離していました。精神疾患の患者のみならず、肢体不自由な貧困者、困窮老人、乞食、頑固な怠け者、性病患者、風俗壊乱者も収容していたようです。精神疾患患者は、鎖に繋がれていたりもしていました。病気として認識されておらず人権を無視されていました。

ピネルPinel

そのような状態を変えようとしたのが、フランスのフィリップ・ピネル(Pinel; 1745~1826)です。「精神病患者を鎖から解き放った」初めての医者として知られています(精神科分野における人道主義の導入)。また、近代精神医学の祖とされており、その功績は高く評価されています。

  • 世界最初の本格的な精神医学教科書(1800)を執筆
  • 精神病者を人道的にケアすること、特に心理的治療法を重視
    (ピネルは患者の人権を重視し、人道的精神医学の創設者となりました。)
  • 弟子のエスキロール(Esquirol:1772~1840)が精緻化、発展

(余談ですが)ピネルは、元々外科系だったらしいですが、友人が精神疾患にかかったことから、精神科に転向したとされています。

ファイル:Philippe Pinel à la Salpêtrière .jpg
Philippe Pinel à la Salpêtrière

ピネルの功績を表したこの絵画は有名です。(鎖でつながれていた精神疾患患者を介抱する絵)

同時期の他のヨーロッパ諸国の動き

  • ドイツ:1818年に、精神医学 Psychiatrie (独)という言葉が教科書に登場・19世紀にドイツ各地の大学に精神医学講座が設立
  • イギリス:18世紀半ばに精神科の臨床講義が開講・19世紀には、治療
    環境が重視され、この視点から精神科病院の設計・建設が進む

この時代は、宗教的思想から科学的思想への転換が行なわれており、近代医学の発展する時代になりました。

また、それに伴い、精神疾患患者も大きく増加したとされています(患者の数 1852年:11,622人 → 1898年:74,097 →1911年:143,410人)。この理由としてはいくつか挙げられています。

  • 産業革命・経済発展により、都市の人口が増加
  • 科学の発展により、精神疾患が認知されるようになってきた

精神医学の発展~診断分類法の確立

ここから、エミール・クレペリン(Emil Kraepelin:1856-1926)というドイツの精神科医が、近代精神医学の基礎を作りあげます。クレペリンもまた、多くの功績を残しました。

  • 疾病分類体系(教科書を9版改訂)
  • 二大精神病の提唱(精神病を、今で言う統合失調症と躁鬱病の2つに分類)

二大精神病を詳細に書けば、以下の二つに分けられました。

  • 早発性痴呆(今日の統合失調症):破瓜病・緊張病・妄想性・痴呆を一つの疾患単位にまとめる
  • 躁うつ病(現在の双極性障害と大うつ病)

精神医学の発展~治療法の歴史

三大ショック療法の発展(1930~1950年代)


診断方法が発展していくにつれ、治療法も発展していくのは当然です。「三大ショック療法」が

  • インスリン昏睡療法(1927年~):
    ポーランドの精神医学者マンフレート・ザーケルが考えた治療法。
    インスリンを大量投与することにより低血糖ショックを人為的に起こさせて精神病患者を治療。統合失調症や躁状態の治療として一時は大流行。低血糖を起こすわけだから、死亡例も多かった。クロルプロマジンの発見と普及で衰退する。
  • カルジアゾールけいれん療法(1935年~):
    ハンガリーのラディスラス・J・メドゥナが考えた治療法。
    薬物を用いて人工的にけいれん発作を作ることで統合失調症患者を治療。
    (「てんかん」の人は統合失調症にならないという勘違いから「けいれんが治療になるのでは?」と考えられ生まれた。)
  • 電気けいれん療法(1938年~):
    カルジアゾールけいれん療法を受けて、イタリアのウーゴ・ツェルレッティとルシオ・ビニが考えた治療法。
    薬剤ではなく、電気を用いてけいれんを起こす。それまでのけいれん誘発剤より治療効果が高かった。統合失調症、躁状態、うつ状態の治療法となった。
    しかし、静脈麻酔薬や筋弛緩薬などの前処置は当時はなく、一部では鎮静や懲罰目的に乱用され、野蛮で非人道的な治療法というイメージを持たれ
    ていた。

現在でも電気けいれん療法は、行なわれています。多くの病院では、「修正型電気けいれん療法(静脈麻酔薬や筋弛緩薬を用いるなどして、より安全に実施)」として、行なわれています。(修正でない、「電気けいれん療法」も、かなり田舎の古い精神科病院にはまだ残っていたりします。)

精神科の手術・ロボトミー

今では「ありえない」と言われているロボトミー手術も精神科の発展とともに生まれた手術になります。

ロボトミー手術は、「前頭葉白質切断術」とも言われます(字の如くの手術)。1936年に統合失調症、双極性障害などの治療法として開発されましたが、患者の自発性低下・人格の平板化などの重大な弊害が認識されるようになり、行なわれなくなりました。

この合併症の多い手術を考案したアントニオ・エガス・モニスAntónio Egas Monizが、ノーベル生理学・医学賞を受賞したことでも有名です。

向精神薬の歴史

抗うつ薬や睡眠薬として用いられる向精神薬も近代精神医学の発展とともに、発達しました。それまでは自然の植物や、それらの成分を抽出下者が薬として用いられていました。

  • 漢方薬剤:大麻、麻黄、阿片、酒類、茶、タバコ
  • 抽出・合成したもの:モルヒネ、カフェイン、アンフェタミン、バルビターツ、フェニトイン(1800年代から1900年代に開発)

上記のような薬は色々な科で用いられる薬です。これらの薬の中で、「精神科特有」といった薬は少ないです。精神科特有の薬も1950年代に入ってからは、薬も大きく発展したと考えられています。

  • 抗精神病薬:1952年にクロルプロマジンの臨床報告
  • 1980年代から非定型抗精神病薬が開発される
  • 抗うつ薬:1957年にイミプラミンの臨床報告そこから、「三環系 → 四環系 → SSRI → SNRI → NaSSA」と開発される

精神療法

精神科特有の治療法、精神療法(主に精神分析療法と認知行動療法)も19世紀後半から始まりました。

精神分析療法(力動的精神療法)

  • フロイト(1856~1939)が創始。
  • 無意識/意識、自我、防衛機制など精神内界を体系的に整理し、治療の対象とした。

認知行動療法(CBT)

認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)は、今では最も広く普及し、今なお発展している治療法になります。

  • 従来の行動に焦点をあてた行動療法から、思考など認知に焦点をあてるようにされたもの
  • アルバート・エリスの論理療法やアーロン・ベックの認知療法、行動療法などが統合されてできた技法の総称

迫害された精神疾患患者~WW2前後

このように診断・治療技術が向上しても、それが正しく使われなければ意味がありません。歴史の中では、精神医学が発展したため、その悪用もなされました。

  • ナチス・ドイツ:優生学思想に基づいて「安楽死政策T4作戦」が行なわれる。ここでは、「生きるに値しない生命」という理由で多数の精神障害者が殺害される。被害者は10万人から30万人とまで言われている。
  • 旧ソ連:1960年代後半~1970年代前半に反体制運動家が精神障害者と診断され精神病院や保安施設に入院・隔離

折角、精神医学が発展しても、それが正しく用いられなければ何の意味もありません。むしろマイナスです。

社会と関わる精神科

精神医学の発展とともに、その社会性も見つめ直されてきました。ピネルが精神病患者を鎖から解き放ち、精神科分野における人道主義を導入しても尚、多くの患者は精神科病院に「閉じ込められた」生活を送っていました。そんな中、ノーマライゼーションという考え方が出てきます。

ノーマライゼーションの理念が発祥したのはデンマークです。時は第二次世界大戦終了後の1950年代。当時、知的障害者の施設の中で、彼らが非人間的な扱いを受けていることを知ったその親たちによる、この状況を改善しようという運動からはじまりました。「どのような障害があろうと一般の市民と同等の生活と権利が保障されなければならない」という考え方がN・E・バンク-ミケルセンという一人の行政官によって提唱され、1959年にデンマークの法律として成立します。

https://whill.inc/jp/column/09_normalization#i-2

この考え方を基に、世界的に精神科病床は減少していきます。

(詳細は→海外の精神科病床削減の歴史と現在・日本への応用

世界精神保健連盟(WHFM)

また、国際的には1948年に”The World Federation for Mental Health (WFMH)”というNGO団体が設立されたことも知っておいて良いでしょう。

There is no health without mental health

https://wfmh.global/

精神衛生関連の世界唯一の国際団体にもなります。

It was founded in 1948 to advance, among all people and nations, the prevention of mental and emotional disorders, the proper treatment and care of those with such disorders, and the promotion of mental health.

https://wfmh.global/