精神科病院・医療制度の歴史と考察

海外の精神科病床削減の歴史と現在・日本への応用

日本の精神科病床の現状と課題では日本の精神か病床の課題が挙げられています。日本は他のOECD加盟国に比べ、精神科病床数が圧倒的に多く、改善しなければなりません。

では海外の精神科病床はどうなっているのでしょうか?
もちろん、「日本は精神科病床が多すぎる!」と批判されているわけですから、海外の病床数は(少なくとも日本よりは)少ないはずです。
では、その「病床数が少ない」国々と日本では何が違うのでしょうか?今回、主に書籍からの抜粋と考察を行っています。

「各国の事情なんて興味ない!結局、海外の精神科事情を見て、何が言いたいんだ!」という人は目次最後の「これらの国々の事情からいえること」まで飛んでください。

スウェーデン

最初にスウェーデンを取り上げます。参考にしたのは、以下の図書です。

スウェーデンの精神科医療改革(リフロー版)

そもそもスウェーデンは北欧の国ですから、「高福祉国家」のイメージが強いですが、実際はどうなのでしょうか?まずは、本から事実を抜粋しましょう。

昔はスウェーデンもひどかった。現在は大きく改善。

近代以降1960年代までスウェーデンでは、大規模施設に患者を収容し、手厚く医療福祉を介入させるスタイル

1960年代、ノーマライゼーションの考えが出はじめた(当事者が声を上げた)。結果、精神科医療の当事者団体も、同様の主張をした。

1995年から精神科医療の大規模な改革が行われた

結果精神科病床が減少した。
1967年約3万6000人→(取材時2013年)病床数4400

スウェーデンの精神科医療改革 一部文章改変

cf. 「ノーマライゼーション」 障害のある人もない人も、互いに支え合い、地域で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す

厚労省HP https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/idea01/index.html

スウェーデンの人口はおよそ1000万人です。1967年には3万6千人の精神科患者が入院していたということは、人口10万人あたり360人入院していたということです。現在、「精神科入院者数が多すぎる」と批判されている日本ですら、人口10万人あたり250床程度です。スウェーデンも昔はかなり精神科の病床を持っていたといえます。

ところが、今や病床数が4400床です。病床数が4400ということは入院者数はもっと少ないと考えられます。仮に4000人、入院していたとしても、1967年のおよそ1/9です。病床数の大幅削減に成功しています。

精神疾患患者が生んだトラブル・・・そこへの国の対応は?

精神科患者さんが、地域社会に入って行くにあたり、最も言われることは、「あの人たち、危険じゃないの?」という声。(実際はそこまで危険ではない。印象論の話。メディアの報道の仕方の問題。いつか記事にまとめる。)

スウェーデンにおいても、「精神科患者が事件を起こしてしまった」こともあったようです。

2003年に精神科患者が事件を起こしたことを機に再度精神科医両制度の見直しが行われた。悲惨な事件に精神疾患患者と精神科医療に対し、市民の不安は増大したが、政府が設置した制度見直しのための委員会が出した結論は、すべての精神疾疾患患者、精神障害者に住居を与え、教育や就労の機会を担保するというものだった。60年代以前の大規模閉鎖病棟時代に逆戻りしなかったことが最大の特徴だ。マスメディアでも事件後しばらくは過激な論調の記事が散見されたが、次第に落ち着き、事件は非常にレアな事例で、原因は精神障害者にあるのではなく国の制度が現状に対応できていなかったためだ、という認識、指摘が生まれてきたという。

スウェーデンの精神科医療改革 一部改変

この文章はなかなかすごいことだと感じます。日本では、精神疾患患者でない人が、悲惨な事件を起こした後に、「あの人は精神疾患なのではないか」とメディアで報じられたり(実際は精神疾患ではないのに!)、精神科患者を縛る社会制度ができたりしています。この点において、日本とスウェーデンは大きく異なります。(参考:精神疾患への差別や偏見~事件と法改正の観点から

スウェーデン特有の支援策~就労支援国営企業

スウェーデンでは、障害者が働くための雇用を生み出す国営企業があります。(サムハル:詳細は→ https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2011_4/sweden_01.html

現在ではサムハルで働き、経験を積んだ障害者の5%が毎年、一般会社に転職するという実績もある。

一方、一般企業に対して障害者雇用の目標値は設定されていない。その代わりに障害者への差別を禁じる法律があるが、現実に障害者は健常者より失業率が高いのだからそのような法律では不十分で、

スウェーデンの精神科医療改革 一部改変

これは日本とは違った制度になります。日本では「障がい者就労促進」を行っており、「企業に精神か患者を雇うように」働きかけていますいます。(以下)

○ 法定雇用率1.8%を達成するための取組の強化、法定雇用率の見直し
○ 障害者権利条約の批准に合わせた障害者雇用促進法の見直し
○ 国及び地方公共団体における知的障がい者、精神障がい者、発達障がい者等の一層の雇用拡大に努める

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koyoutaiwa/dai4/siryou1.pdf

どちらが良いのでしょうか?

印象的には、一見、日本のやり方では、国が福祉をやるべき所を、民間に丸投げしているようにも見えます。
ただ、逆に、スウェーデンのやり方では、「一般企業に就職した人は、精神障害を抱えながらも、他の人と勝負していかなければならない(民間企業は精神科患者を雇う必要はないから、いつでも解雇できる)」というデメリットもあります。

今でも尚批判は残る

北欧でもコミュニティケアは行われていますが、根本的な解決はなされていません。比較的軽少な人はコミュニティケアで済みますが、重傷な人は入院することになります。

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 (一部改変)

これは、精神科病床を全くゼロにしたイタリア(後述)からの批判です。高福祉国歌で有名な北欧でも「完全な精神科医療のコミュニティ化」がなされたわけではなく、「一部コミュニティ化」といった所と批判を受けています。

日本はどうすればスウェーデンのようになれるか?

スウェーデンがやってきたこと

では、どうすれば、日本もスウェーデンのようになれるのでしょうか?

制度だけマルパクリしても、日本がスウェーデンと同じような成果を得られるとは到底思えません。なぜなら、精神科患者を受け入れるだけの、地域社会がないからです。もっと強く書けば、精神科患者は社会になじめる土壌がないからです。

僕個人としては、この「精神科患者がなじみにくい」地域社会の原因は、社会教育の不徹底さとメディアの報道にあると思います。中途半端な知識のない報道が、精神科患者が社会になじみにくくしていると考えています。スウェーデンでは以下のような努力がなされていたようです。

精神科医療改革の後、「精神疾患とは何か」という情報提供がなされてきた。国民に対し説明をし、恐怖心を取り除くための活動を続けてきた。国の機会や患者家族協会が中心となり、テレビや新聞で精神疾患を取り上げ、

精神的な病気になったことのある有名人をマスコミが起用したり、学校教育の中で小さい頃から周りに障害者がいることを当たり前として教えたり、そのことで差別しないといったことが、あたりまえとなっている。

(精神疾患患者が事件を起こしたとき、統合失調協会は)メディアに協力を求め、新聞や雑誌で取り上げられたことをテーマにセミナーを開き。ジャーナリストを招待した。メディアに殺人者の精神疾患を書かないように働きかけた。結果としてメディアも精神疾患に関しては新潮に扱うようにもなった。

スウェーデンの精神科医療改革 

このような努力がなされることで、スウェーデンは改革を重ねる土壌を作り上げたようです。簡単に言えば以下のことをしたといえます。

  1. メディアを通して、精神疾患の理解を深める
    (同時にメディアの教育もする。)
  2. 子供のうちから精神疾患を当たり前として育てる
  3. メディアが行きすぎた(誤った)報道をしないように働きかける

日本で同様のことをするか?

日本では同様のことができるでしょうか?

「①メディアを等して精神疾患の理解を深める」ことはできると思います。精神疾患を取り上げたテレビ番組は、たまにあります。ただ、ごくごく一部です。僕の提案になりますが、もっと大々的に、テレビ(現代だとyoutube?)番組を作れば良いと思います。特に国が大金を出して作って良いと思います。それで国民全治に理解が広まれば、精神疾患患者の地域受け入れが進み、最終的には医療費削減につながるからです。(精神科医療の医療費問題については→日本の精神科病床の現状と課題

「②子供のうちから精神疾患を当たり前として育てる」ことは、なかなか難しいと考えています。現に今の小中学生も、「特別支援学校の生徒との交流会」みたいなものを行っていますが、なかなか理解が進んでいません。(そこには、指導者・教員の教え方の問題もあると思います。ただ、教員自身も精神疾患への偏見を持って当然なので、責めることはできません。)

僕は一度、「特別支援学校にいる人も、全員、普通学級に入れればいいじゃないか」と児童精神科の先生に言いました、先生曰く、「それで、彼らへの偏見は多少減るかもしれない。でも、彼ら自身の教育の機会は奪われてしまう。彼らは普通学級の勉強についていくことはできない。普通学級の生徒と、精神疾患を持った生徒が、同じ教室で授業するということは、残酷な話にもなるん。」と言われ、なるほどと感じました。

「③メディアが行きすぎた(誤った)報道をしないように働きかける」ことは容易だと思います。「報道の自由」云々の前に、一人の人間として、節度ある報道をするように求めても良いと思います。

イタリア

イタリアを調べるに当たり、以下の書籍を参考にしています。

精神病院のない社会をめざして バザーリア伝

(こちらはイタリアの精神科制度改革に関わった人間の話)

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

こちらはイタリアと日本、そして他の海外の国々について書かれている。「違い」を違いを意識して書かれた本。書いたのはジャーナリストであり、医療者側の視点ではなく、読んでいて突っ込みたいところも出てくるが、逆にそれが面白い。(医療にのめり込んで、非医療従事者と感覚がずれたら、それはおかしなことになるなと感じた。)

人生、ここにあり!(字幕版)

こちらはイタリアの精神科制度改革をコメディカルに描いた映画

当然イタリアだってひどかった

イタリアは精神科医療制度については、「古いやり方(精神病院での入院医療)」から「新しいやり方(地域中心型精神医療)」へ劇的に改革を進めた国として有名です。(だからこそ、映画にまでなっている)

ただ、そんなイタリアでさえ、当初はひどかったようです。

1961年ごろのイタリアの精神病院は患者をベッドに縛り付けるなんて当たり前

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

バザーリアの言葉

イタリアの精神医療改革者として有名なバザーリア(精神科病院の廃絶を最初に唱えた精神科医)はこのような言葉を残しています。

鉄格子や鉄の扉の奥に閉じ込めることを正当化するような精神状態など、本来内のだ。精神病者の、ときおりの暴力は、結果である。施設の中での抑圧で引き起こされた人間としての反応である。つまり、それは精神病院が引き起こす病気。精神病院など辞めて人間存在たる温かい状況に置くことができれば、精神病者の暴力などなくなるのだ。

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

精神科病床のないイタリア

先述のスウェーデンで少し書いたとおり、イタリアでは、「精神科病床がゼロ」なようです。なんと1978年には精神病院への入院が法律で禁止されたようです。(正直、これは他国で全く類を見ないものであり、かなり独特だと感じます。)

政治家と精神科と市民の協力

なぜ精神科病床が減らないか・地域化が進まないか、について考えたときに、よく聞かれるのは以下の意見です。

  • 政治家が、精神科への配慮ある政治を行わないからだ
  • 精神科の医療レベルの問題では
  • 市民が精神科疾患への理解が少ないからだ

イタリアのフランコ・ロッテリはその講演の中で以下のように述べています。

「政治家の意識、医師の意識、住民の意識を変えていく必要があります。」

「精神科医と政治家と一般市民が協力しながら精神病院を廃絶する方向に持って行かなければいけないのです。」

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 一部改変

バザリア法・どこまでアテになる?

バザリア法とは、1978年に公布されたイタリアの精神医療・福祉に関する法律で、脱施設化に踏み出した、世界初の精神科病院廃絶法です。
この法律を基に、精神科病床を廃絶したわけです。(正直、アンビリーバブル)

正直、イタリアが、「病院廃絶」を最も推し進めた国であることは間違いありませんが、なんでこんなことが(批判もあるにせよ)うまく進んだのか、僕は個人的に、未だによく分かっていません。

アメリカ

精神科病床は少ない!ただこれで良いのか?

(当時)人口約2億だったアメリカは1955年時点では55万人もが精神病院に入院していた。これが大統領演説の数年前から減り始め1986年には11万人だった。

(精神科は入院より外来の方が安上がりと皆が理解することで)精神病院の中心の時代は完全に終わる

ケネディ演説(1963年ケネディ大統領が一般教書演説で「精神病院収容時代の終焉と地域精神保健サービスの時代の到来」を宣言)の後地域精神保健センター法ができて精神科拠点として全米に2000カ所以上の精神保健センターができるはずであった。が、1986年頃でも七百数カ所しか存在しなかった。

アメリカにはホームレスが多数いる。そのうちの28%が重い精神病で本来なら入院治療が必要な人たち。そのほか、30%近くがアルコール依存症や薬物依存症患者。

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 一部改変

アメリカは、良くも悪くも自由の国で、貧富の差が大きい国です。医療サービスを受けられない人も多いです。脱施設化、地域精神保健活動は素晴らしい流れでしたが、地域の受け皿づくりが不十分だったと考えられます。多くの精神障害者がホームレスとなってしまったようです。

「アメリカでは精神科病院に代わって刑務所が重篤な精神疾患患者を収容している」とも言われています。(When should governments increase the supply of psychiatric beds?)

精神科疾患がある人間の一般企業就職率は、改革が成功したとされているイタリアでさえも低いです。全く社会保障なしに、精神科患者さんを、いきなり社会に入れる(放り込む)のはかなり酷な話だと感じます。(何でも脱施設化すれば良いという話ではないのです。)日本では、患者さんに寄り添った上での、脱施設化が望まれます。

カナダ バンクーバー

日本と似た状況から改善

バンクーバーの精神保健状況は1970年代初めまでは日本に似ていた(人里離れたところに大勢の精神疾患患者が入院していた)。しかし1986年までの間に、精神病者のためのおびただしい数の住居が作られた。

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

先のアメリカにおけるホームレスの件があったためにカナダは十二分な準備をしていたようです。逆に言えば、予め準備をした上で改革を行うことが重要と言えます。

イギリス

フランス

ピネルによる精神疾患患者の解放

フランスは精神病者の解放の地で有名です。フランスのピネルが、フランス革命の頃(18世紀)、精神病者を鉄鎖から解放したとされています。これが精神障害者を人間として尊重することの始まりといわれています。

精神科患者解放の発端の国!それでも足踏み

1960年以降、欧米諸国は、精神障害患者の長期入院是正と社会復帰促進
を旗印に、精神科医療の地域化を勧めていった。フランスも精神科病床の削減を強力に推進する。老朽化した精神科病床は次々と解体され、精神科の長期療養病床は激減した。だが、こうした病床に入院していた患者の受け入れ先の整備はなかなか進まなかった。

精神科病床がどんどん削減され、在宅で治療を受ける体制も十分でないため
に、患者は病院にも入れない、社会復帰もできない宙ぶらりんの状態になっている。医療、そして家族にも見捨てられた患者の一部はホームレスになって町に溢れる。フランスではホームレスの大半が精神疾患患者だといわれている。

JPN記事の引用サイト https://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/ikiba.html

「精神科医療態勢の欠陥は、精神病者を社会不適応者(ホームレスや拘留者)として片付けるか、アングロ・サクソン式に薬漬けにするかのどちらかに導く」と、フランスの精神科医療が直面している危機を訴える。

地域化に拍車がかけられ1970年から2000年までに厚生省は一挙に12万5千の精神病床を削減、精神科の老朽病棟を改造するより解体し慢性期患者用床数を激減させた。が、それに代わるデイケアや急性期患者の受け入れ施設はその 10分の1を新設したにすぎない

https://ovninavi.com/525_apropo/

上述の通り、フランスは精神科患者が「人として扱われる」ことの起源となった国ですが、精神科患者が地域にとけ込めていないようです。アメリカ同様、「ただ精神科病床を減らした」結果、このようなことになったと考えられます。

ドイツ

歴史:クレペリンもいたけどナチスもいた

精神医学の始まりの地

ドイツは「精神科を科学にした」国と言えるでしょう。(もともとドイツは科学や工業に強いイメージですが・・・)ドイツでは精神医学者のクレペリンらの活躍などによって、それまで非科学的に扱われていた精神障害を科学的に研究するようになりました。精神医学の始まりの地とも言えます。

ナチスの負の歴史

一方でナチスの負の歴史もあります。ドイツのナチス政権下では、多くの精神障害者や知的障害者らが、「生きるに値しない生命」として隔離され殺されていました。

暗い過去があっても、今の日本より進んでいる

精神病床数(人口 10 万あたり)は,日本 204.4 床・英国 7.99 床・ドイツ 47.62 床
精神科病院入院患者数(人口 10 万あたり)は,日本193.71人に対して,英国232.34人,ドイツ 641.53 人

https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1160040267.pdf

日本は突出して精神科病床が多いことは有名ですが、ドイツもイギリスと比べるとそこまで少なくはないのかな?とは感じてしまいます。また、英国やドイツは、病床数は少ないにかかわらず、入院者数は多いのですね。欧州の二つの国は、病院の回転率を高くして、「入院はするけど、すぐ退院する」という方針でいるようです。

「面倒を見る」か「治療中心」か~実習生の視点

ここから、僕の実習で感じたことを書きます。
日本の精神科病床を見ると、入院は「治療」というよりは「お世話をする」印象が強いです。ここが他の科と大きく異なる印象です。
例えば、日本の他の科(例えば外科)では、「治ったらなるべく早く家に帰りましょう」と医者は言います(そっちの方が病院は儲かるし、患者も家に帰れてうれしい)。医者はなるべく早く患者を家に帰そうとして、患者も早く帰りたい。
ただ、精神科では「なるべく早く帰りましょう」なんて雰囲気は全くありません。それは患者さんが地域に帰りにくい社会システムだからかもしれませんし、患者さんが問題を起こしたら叩かれてしまう社会だからかもしれません。

世界的な精神科の課題

以上の国々を見たなかで、世界の精神科には二つの課題があると考えます。

  • 精神科の入院ベッド数が多い(日本)
  • 精神科病床は減った者の、精神科疾患患者が地域に溶け込めなかった(アメリカ・フランス)

現状、日本は「精神科病床を減らさなければ」と課題に取り組もうとしていますが、ただ減らせば良いというものではなさそうです。

これらの国々の事情からいえること

日本も前に進めるはず

これらの国々の事例を見て言えることは、「決してどの国も最初から、精神科患者が地域で生活していたわけではない」ということです。
つまり、どの国でも、精神障害者は差別され、偏見を持たれ、病棟の中に閉じ込められてきたのです。

そのような状態から、多くの人の普段なる努力で、医療制度が変わり続けて、今の姿があるのです。そう考えれば、日本も頑張れば、精神科疾患を持った人が、安心して地域で暮らせる社会の実現ができると僕は考えています。

ただ、形だけまねても無意味である

ただ、「とりあえず、病床数を減らそう!」としてもいけません。(そこが病床数を減らす難しい問題だと思います。)病床数削減で製鋼したと言われているイタリアでさえも、当初は精神病患者が社会になじめずトラブルになったこともあったようです。況んや、アメリカのように、「精神科病床は減った。でも社会にホームレスがあふれた。」では話になりません。

これらの過去の事例を踏まえながら、日本は日本なりの形で進む必要があります。(日本は国民皆保険があるし、少なくともアメリカのようにはならないでしょうが。)