その他の学問

精神科と言語学(共感力とグライスの「含み」)

  • 「彼は(言葉通りの意味は理解できるのに、)言葉の『ウラ』の意味が分からない」
  • 「あの人は冗談(皮肉)が通じない」
  • 「あの人は、言葉の意味を理解できていない(場の空気が読めない)」

といった会話を人生で一度は聞いたことがあると思います。

例えば、精神疾患の人や認知機能が低い人、もっと言うなら「女の人から見た男の人」には、このような特徴があるのではないでしょうか。
どうしてこのような「コミュニケーションのすれ違い」が起きるのかについて言語学の観点からまとめます。

協調の原理

まず最初に、「協調の原理」を学びましょう。「協調の原理」とは、イギリス出身の言語哲学者、ポール・グライスHerbert Paul Griceが唱えた原理です。

Grice’s theory of conversational implicature
a. The co-operative principle
   Make your conversational contribution such as is required, at the state at which it occurs, by the accepted purpose or direction of the talk exchange in which you are engaged.
b. The maxims of conversation
   Quality: Try to make your contribution one that is true.
     (i) Do not say what you believe to be false.
     (ii) Do not say that for which you lack adequate evidence.
   Quantity:
     (i) make your contribution as informative as is required (for the current purposes of the exchange).
     (ii) Do not make your contribution more informative than is required.
   Relation: Be relevant.
   Manner: Be perspicuous.
     (i) Avoid obscurity of expression.
     (ii) Avoid ambiguity.
     (iii) Be brief (avoid unnecessary prolixity).
     (iv) Be orderly.

Pragmatics (Oxford Textbooks in Linguistics) 

「協調の原理」とはざっくり言うと、「言いたいことを伝えたいなら、会話の①質②量③関係④様態を適切にしろ」ということです。さらに具体的に書けば、以下のようにざっくり書けます。

  1. 質:「偽だと思うことを言うな」+「証拠のないことを言うな」
  2. 量:「必要な情報は全部伝えろ」+「必要じゃない情報は伝えるな」
  3. 関係:「関係のある話だけをしろ」
  4. 様態:「適切な言い方で会話ろ」+「あいまいに(多義的に)言うな」+「簡潔に言え」+「整然と言え」

なかなか「手厳しい」会話になりそうです。
しかし、このような会話は、「公(おおやけ)の場所」や「緊急事態の際」に必要とされます。例えば、救急車を見て、電話をするときは、この原則に則るべきです。

  1. 質:救急隊員相手に、嘘とか伝えたら迷惑・救急車来るのが遅くなる
  2. 量:必要な情報のみを正しく伝えることが大事
  3. 関係:救急車に関係の無い話をする猶予はありません
  4. 様態:分かりやすく伝えることが大事

こういうことです。ただ、逆に言えば、日常会話全てでこのような会話をしたら、非常につまらない日常になります。「目的のある会話のみをするオトコはつまらない」と言う人がいますが、そういう人は、この原意に則って会話しているのでしょう。

原理から逸脱したところに真理が存在する

前述の通り、公理通りの会話には「会話の面白さ」が存在しません。公理通りの会話では事務仕事のような会話しか生まれません。

グライスの理論的には、この「公理に『意図的に』違反することでそこに意味を持たせている」のです。それを「会話の含みconversational implicature」というのです。

例えば、公理から違反した会話を考えてみましょう。

  1. A「ねえ、Bさん、授業のノート見せてくれない?」
  2. B「死んでもいやだね。」
  3. A「そういえば、僕は合コンをセッティングしようかなと思っているんだけど」
  4. B「仕方ない。僕が必死にまとめたノートを君に貸してやることにしよう」

このような会話は、そこら辺の大学生がしてそうですが、グライスの会話の公理からは大きく逸脱しています。

  1. A「ねえ、Bさん、授業のノート見せてくれない?」
  2. B「死んでもいやだね。」
    「質」からの逸脱:本当に死んでもノートを見せたくないわけない。死ぬくらいならノートを見せた方が良いに決まっている。
    「死んでも」と言うことで「絶対にいやだ」という「含み」
  3. A「そういえば、僕は合コンをセッティングしようかなと思っているんだけど」
    「関係」からの逸脱:今はノートの話をしているのに、急に合コンの話をしている。
    「ノートくれたら合コン誘ってやるよ」という含み
  4. B「仕方ない。僕が必死にまとめたノートを君に貸してやることにしよう」
    「量」からの逸脱:Bさんがノートを必死にまとめたかどうかなんて、どうでもいい情報。
    「俺が頑張ったノート貸してやるんだから、良い合コンにしろよ」という含み

このように、日常的な会話では、「会話の公理」から逸脱した会話、それでも尚コミュニケーションとして問題の無い会話、が多く存在するのです。

会話の「表示義」「共示義」

会話=「字義通りの意味」+「会話の真の意味」

この会話では、「相手のハラの探り合い」が行なわれています。この探り合い(=推論)こそが、会話の面白さでしょう。

グライスの「含み」とは「言葉通りの意味の内には表れない、話者が本当に伝えたい内容」のことを言います。
先ほどの例で言えば、Aさんは「僕は合コンをセッティングしようかなと思っているんだけど」ということで、「ノートくれたら合コン誘ってやるよ」と含みを持たせています。

つまり、会話においてはその「字義通り」の意味と、「会話の真の意味」は異なるということです。この二つの意味合いについて、言語学的には以下の言葉が使われています。

言葉通りの意味真の意味
含み
表示義共示義
デノテーションコノテーション
明示的な意味暗示的な意味
表の意味裏の意味

一般的に、デノテーションは一義的で、コノテーションは多義的です。

デノテーションの代表格「法律」

デノテーションの代表格と言えば、「法律」でしょう。法律がいろんな意味を持ったらたまったものではありません。その都度々々、法律を裁判所の解釈で変えられたら、皆困ってしまいます。そのため、法律は、一義的な意味しか持たないように、言葉に言葉を重ねて長々と書かれているのです。

男女の会話はコノテーションの塊

男女の会話はコノテーションの塊と言えるでしょう。例えば次のような会話を思い出してください。

  • 男「今度一緒に遊びに行こうよ」
  • 女「他に誰か来る?」

この女「他に誰か来る?」には多くの意味合い(真の意味)が考えられます。

  • 女が男に好意を寄せている場合は「他に誰か来る?」=「そこに遊びに二人で行けますか?」と解釈できる
  • 女が男を嫌悪している場合は「他に誰か来る?」=「あなたと二人では行きたくありません」と解釈できる

つまり、言葉(コノテーション)の解釈の仕方はごまんとあるわけです。
この会話でいけば、空気が読めない男は、その解釈の仕方で悩んだり、解釈の仕方を間違えてフラれるわけです。

コノテーションが会話の面白さである

つまり、言葉の「真の意味(コノテーション)は自由自在に解釈されてしまうものなのです。もちろん、話しては、言葉にいろいろな意味をのせることができますし、逆に聞き手は勝手にいろいろな解釈をすることができるわけです。(「勘違いオトコ」を想像すると分かりやすい)

「会話が難しい」とは「コノテーションが分からない」

例えば、最初の例に戻りましょう。「彼は(言葉通りの意味は理解できるのに、)言葉の『ウラ』の意味が分からない」「あの人は冗談(皮肉)が通じない」といった言葉は、このコノテーションが理解できていないのです。

例えば、自閉症の診断基準の一つに、「複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的欠陥があること」とありますが、それは、この「コノテーションのやりとり」が難しく感じているからです。

そういう風に考えていけば、精神科関連にも大きく応用できる言語学かもしれません。